望めば全てが終わる




無意識のうちに冷水のノズルを捻っていた。
流れだした水が着衣に吸い込まれていく。
全身に鳥肌がたっているが、そうでもしないと内側の熱が抑えられそうにない。
勢いよく拳を壁に打ち付けた。
鏡に一瞬だけ映った自分の顔をもう見たくなかった。


目を閉じる。


浮かんでくるのはさっきの山口の表情とその瞳に映る俺の顔。
それにすら目を覆いたくなる自分とその歓喜に震える自分がいる。
俺はあの瞬間を一生の咎として負っていくのだろう。
背負いたいのだ。咎を背負えば、忘れることはないのだから。

水を止める。
足元から崩れるように、バスタブに背中を預けた。
濡れた髪を掻き上げる。
力なく笑った。




------------まるで獲物を狩り損ねた獣のような俺





ベッドでうつ伏せになった俺は頭をむしゃくしゃに掻いた。
あの後、どうやって部屋まで辿りついたかなんて覚えていない。
気づいたら自分のベッドで枕に顔をうずめていた。
遠征先に持ち歩くほどお気に入りの枕はふわふわの羽毛のやつだ。
その柔らかさにさっきのキスを思い出して、はっとした。


目を閉じる。


浮かんでくるのは渋沢の暖かさと向けられた言葉の冷たさ。
試合後の歓喜の勢いでやるものとは違う、俺を閉じ込めようとする力強さがあった抱擁。
いや、俺がそう思っているだけで違っていたかもしれない。
逃れようともがけば出来たはずだ、でも俺はそうしなかった。

仰向けに姿勢を変える。
このまま落ちてくかのように、マットに身体が沈んでいく。
指で唇を触れる。
そこに体温が集まるのが分かった。




------------まるで眠りを解かれたお伽話の主人公ような俺




次の日の練習で山口と話す機会はほぼなかった。
無意識に避けていた。
拒否されるのが怖かったわけではない。

むしろ、罵ってほしいとさえ思う。
嫌悪感をむき出しにして、突っぱねてくれればよかった。
こっぴどく振ってくれたのなら、諦められる。


ただ昨日の山口は違った。


訳が分からない驚いた表情はしていたが、俺を拒否することは無かった。
そんなの想像もしていなかった。
抵抗して、喚いて、殴って…そんな最後を描いていた俺には予想外のことすぎた。

昨日のキスを思い浮かべるだけで歓喜に震える。
そんな自分への嫌悪感で同時に背筋が震える。
走り込みを終えた俺は汗をぬぐった。




-------------実るはずのない想いに希望を持ちたくない




意識していると渋沢と話す機会は殆どないことに驚いた。
避けていたわけではない、いつも通りだった。
少なくとも俺はいつも通りにできるはずだ。

気づけば、目で追ってしまう。
首筋に流れる汗やグローブをはめる手が、熱や匂いと共に感じられるようだった。
身体があの時のことを覚えている。


いつもの渋沢ではなかった。


厳しさの中にも穏やかさがある、俺らの後ろにいる守護神ではない。
中央突破をけしかけるFWのようにさえ思えた。
ああ、もしかしたらこれが本当の渋沢かもとふと感じた。

本当はずっと前から気付いていたのかもしれない。
知りたかったのかもしれない。
チームの外でもキャプテンじゃなくていいんだと言いたかったのかもしれない。




-------------お前が思うほど俺は脆くない




練習が終わった俺は誰とも話さず部屋に一人でいた。
視界の端々に山口が入る度に苦しかった。
一人掛けのソファに座り、太ももに頬杖をついて頭を抱えた。

いつからだなんて覚えていない。
幼いころから知っていた相手だったのだ。
自覚した時は自分に絶望した。

何年たっても消えることのない想い。
むしろ会うたびに欲望は大きくなっていく一方である。
蓋をしたはずだった。
誰にも悟られないように鍵をかけて、己も目を逸らしたはずだったのに。

箍が外れそうだ。
何をすれば、おさまるのだろう。




------------手に入れないとダメだと声が聞こえた




携帯を手に取った俺は不在着信にドキッとさせられた。
今付き合っている彼女の名前に指を這わせ、溜息をついた。
後ろめたさに襲われる。

15分程悩んで、かけ直す。
向こうの都合なんて、気にする余裕もなかった。
次のコールでとらなかったら…と考えているとコール音が途絶えた。

「ケースケ!」
電話口から明るい声が聞こえる。
「ああ、何かあった?」
つられるように明るさを装う。
「え、何もないけど………。」
声が聞きたかったの、ケースケも寂しくないかなって思って

その言葉にはっとさせられて、慌てて電話を切った。
口元を手で覆う。




------------寂しさなんてない、別のものでいっぱいだった




突然なった部屋のベルで意識が浮上した。
開けっぱなしのカーテンと暗い部屋を見て、うたた寝していたことに気づく。
立ち上がって、背伸びをしているとまたベルが鳴る。

ドアノブに手をかけたところで、昨日のことを思い出す。
あるはずないと思いながら、ドアスコープを覗くと真っ暗だった。
手で覆っているのだろう。

不安が足元から這い上がってくる。
またベルが鳴る。
鍵を捻り、ゆっくりとドアを開ける。

久々に見た光が眩しくて、目を細める。
飛び込んできた色が黒ではないことに、自分が想定した相手でないことをぼんやりと知る。
少し開けたドアを外からこじ開けて、そいつは部屋へと身体を滑り込ませた。

後ろ手で鍵をかけたソイツはニヤリと口角を上げて俺を見た。


「話しせぇへん。」


内容はアンタが悩んどることについてやな。
さしずめ助言を与える天使ちゅーかんじかなと嗤った。




------------その姿はあまりに天使には似つかわしくなかった




電話を切った後、身体中の血が沸騰するようだった。
ずるずると地面に膝をつく。
ははっと力ない笑い声が部屋に響く。

自分から告白したことなんてなかった。
いつだって相手から好きなり、それを受け入れるだけ。
俺の判断基準は受け入れられるか、そうでないかだった。

熱くなった身体を冷やそうと冷たい飲み物を探すが、冷蔵庫にはなかった。
慌てて財布を掴み、部屋を出る。
誰にも見られたくなくて、速足になる。

小銭を探すのが面倒で紙幣を入れるが、失敗する。
お釣もとらずにプルタブを開け、冷えた液体を一気に流し込む。
一息ついたところで誰かの視線を感じて、後ろを振り返る。

驚いた顔をしたソイツはすぐに申し訳なさそうに頭を掻いた。


「話しあるんだけど。」


昨日のことかな。
別にしたくないならイイんだけどと変わらぬ表情で言葉を紡ぐ。




-----------その姿は俺を咎める神父ようだった




君はもう知っている
(望めば全てが終わる)
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