この思いに罪状を



ホイッスルが鳴り響く、それ以外の全ての音を遮断するように。
荒々しくグローブをとって、顔に伝う無数の汗を拭う。
サポーターの落胆した空気が肌を刺し、身体の中でと黒く沈んだものに変わっていく。

今日もやるべきところで、止められなかった。
FWの藤村や藤代が点を取ってくれたおかげでドローとなったようなものだ、かろうじて。
ゴールの前から動かない俺の背中を椎名が掴むようにして、急かした。

調子の上がらない原因は分かっている。
消化しきれないこの思いだ。
それを無意識のうちにピッチに持ち込む俺を自覚することで、膨らんでいくのだ。

俯いていた顔を上げれば、視線の先にはキャプテンマークをつけて周りをねぎらう山口が見えた。
眩しすぎるその姿に咄嗟に目を逸らす。
一瞬だけ目があったような気がするが、俺の気のせいだろう。



----------この胸にある感情を悟られてはいけない。



キャプテンマークを付けた俺は試合終了と同時に空を仰いだ。
火照った身体がやっと風を感じて、大きく息を吸い込む。
サポーターに感謝を伝えるため、まずはスタンドに頭を下げた。

それから点を取った藤代と藤村、DFのサポートのためにあえて下がったスガをねぎらった。
藤村には「案外頼りになるやん、山口キャプテンも」と茶化されたが、俺の中にはしこりのようなものが残った。
所詮、俺は渋沢の代わりにキャプテンマークを付けているだけなのに。

最近、代表選での渋沢の調子が良くない。
キャプテンマークは外されたし、失点は多くなった。
原因を探ろうと渋沢のチームメートである黒川にも話を聞いてみたが、何が原因かもさっぱり分からないらしい。

椎名に急かされるようにして歩く渋沢に視線を移す。
眼があったがすぐに目を逸らされ、はっとする。



-----------俺にできることはなんだろうか。無意識にそればかりを考えている。




試合も終わり、部屋に戻った俺は先ほどの監督の言葉を思い返していた。
『次の試合で結果を出さなければ、代表から外すことも考える。』
ベッドサイドボードにあるスタンドの鈍い赤い光だけの室内で俺は静かに瞼を閉じた。
後ろに体重を移せば、身体がゆっくりとマットに沈んでいく。

暗い視界の中で見える光景はいつも同じだ。
サッカーに関しては自信に満ち溢れて、いつも楽しんでプレーをする山口。
俺はそんな山口に手を伸ばそうとする、ドロドロとしたこの感情を表したような黒い手で。
その色を見る度に手を伸ばすことを躊躇するのだ。

いっそ代表を外れてしまえば、この感情を抑えられるのだろうか。
そう思う俺を、もう一人の俺が止める。
サッカーに関しては妥協できない。



------------この感情のコントロールができないだけ。それほどに溺れている。



とある部屋のドアの前で俺はノックをするのに二の足を踏んでいた。
監督が俺にかけた言葉が信じられなかった。
『次の召集からキャプテンはお前にしようと思う。』
廊下の冷えた空気が足元から俺を襲う。

今でも自分の腕にキャプテンマークが巻かれることに違和感を覚える。
明確な理由は分からないが、思い当たることはある。
キャプテンな渋沢にひどく落ち着くのだ。
ピッチで俺の後ろに渋沢がいると思うだけで、背中から暖かな安心を感じられる。

所属チームでは感じない、代表だからこそ感じるこれを失いたくないのだ。
こうやって話をしようとする俺は迷惑だろうか、そう思う俺がノックをする手を引っ込める。
それでも、俺は一緒にやりたいのだ。



-------------お前と一緒だということが俺を湧きたてるから



まどろんでいた俺の耳に突然、調子の外れたノックの音が入った。
ゆっくりと起き上がりドアを開いて、目の前にいた人物に驚きを隠せなかった。

「おおっ!いきなり開くからビックリした。ちゃんと確認しろよ、不用心だな!」
驚きで一歩後ろに下がった山口はそれでも笑顔を浮かべていた。
「………。ああ、悪いな。どうしたんだ、こんな遅くに。」
湧きあがった胸の感情を抑えるように、わざと不器用に言葉を返した。

「俺、一度ちゃんと渋沢と話をしようと思って。手間は取らせないから、ちょっといいかな?」
試合の時のような山口の真剣な眼が俺を射抜く。
「少しの時間なら、構わない。」
閉まるドアの音が嫌に耳に反響した。



-------------最終宣告のような気がして…



渋沢がベッドに座ったのを確認してから、デスクの横の壁に身体を預けた俺は口を開いた。
「あのさ、俺、今一応キャプテンだし。渋沢の話ぐらいは聞けると思う。」
いや、実際に俺は聞きたいのだ。

「山口には悪いと思っている。不調の原因に心当たりはあるんだが…。」
そこで言葉を切った渋沢は、次の言葉を紡がずに視線を漂わせる。
「言いにくいことは無理して聞かないけど、俺にできることがあったら何でも言ってくれよな。」
大事なチームメートなのだ、素直に純粋に言葉が出てきた。

「いや、大丈夫だ。」
俺の言葉に驚いたような表情を見せた渋沢は、にっこりと笑って俺を拒絶した。
「山口には関係ない、これは俺自身の問題だから。」
部屋は暖かいのに足元から一気に全身が冷えた。



-----------どうして、なぜ?俺は今こんなに悲しいんだ。



言葉を失った山口が目を見開いた驚いた表情で俺を見ている。
たしかにさっきの俺の言葉は俺自身でも驚くぐらい、冷たかった。
ただ、そんな傷ついた山口の表情にさえ興奮しているもう一人の俺が舌舐めずりをしている。

「話はそれだけか。それなら…」
これ以上同じ空気を吸っているだけで、抑えが利かなくなりそうなんだ。
苦しい胸の内を知られたくなくて、山口を部屋から出そうと俺はその腕を取った。
「俺はっ…。」
俺の手を振り払った山口は、両手に拳をつくって俯き耐えるような表情を浮かべていた。
「俺は、渋沢!お前に、頼ってほしいんだ。」
力強く節々を切りながら、そう言いきった山口は俺と向き合った。

「渋沢にとって確かにおれは頼りない存在かもしれないけど、俺はお前がいるだけで安心してプレーできるんだ。その安心に俺はずっと頼っていた。だから、お前が不調なら俺に頼ってほしい。」
キャプテンじゃなくて、山口圭介っていう人間に頼ることもできないのかよ!

一息でそう言い切った山口はぜぇぜぇと肩で息をしていた。
ぽかんとした俺の胸倉を山口が掴んで、位置を反転させ俺を壁に押し付けた。
「お前の力になりたいんだよ、俺が。」
真直ぐな視線に身体に熱が走る。



----------お前の純粋さが怖い



渋沢との距離が近い。
睫毛もはっきりと見えるし、息遣いだって分かる距離だ。
拒絶されたことで一気に吐き出したが、これからどうしようかと俺は迷っていた。

驚いた表情の渋沢は次に泣きそうな表情を浮かべて俯いた。
「お前が…」
部屋にはスタンドの灯り一つであるはずなのにはっきりとその存在が認識できる。
聞き逃しそうな小さな声も確実に俺の鼓膜を震わせる。
「山口、お前が頼れと言ったんだ。責任は取ってもらう。」
熱い決意のようなものを秘めた渋沢の目線が俺の全身を刺す。

渋沢の両手が俺の頬を包む。
女を口説くときのそれみたいな手つきに俺の背筋が粟立つ。
そのまま左手を俺の首筋に添えると、一気に引き寄せられた。

「………逃げないでくれ、今だけでも。」
鼻先が触れそうな距離で告げられた言葉で全身に熱が回る。
唇を重ねる寸前に感じたのは背徳感ではなく安心感だったことに自分が驚いていた。



-----------その暖かさをくれたのはお前




痛みは耐え続けるにはあまりに辛すぎて
(この想いに罪状を)



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