Snow Smile
〜Happy Birthday dear Eishi〜
冬は寒いから好きなのだ。
好きな季節を問われたら必ずそう答えるが、なぜかは分からない。
何も予定の無いオフの日にアパートの窓に張った結露を拭くとそこから見える雪景色を眺めるため、僕は窓枠に頬杖をついた。
ぼぉっと外の風景を眺めていると、雪玉を投げ合っている子供の姿ではっとさせられた。
そうだ、あの時からだ。
入れたコーヒーの香りが遠くなり、真っ白い光景が脳裏に広がる。
目を閉じればあの時に戻れそうなぐらい鮮明に思いだせる記憶。
どうして今まで忘れていたのだろう。
あれは日本に行って初めての冬。
僕の登下校はいつもヨンサと一緒だった。
一緒にいるけれども僕はヨンサに気を使って、それまで2人の間には一定の距離があった。
今思えば、あれは僕のプライドの問題だった。
クラスに馴染めないという僕の問題を解決できない自分に苛立っていた上に、1つ下のヨンサに心配かけている自分が情けなかったのだ。
あの日の帰り道も僕はヨンサの背中を睨んで歩いていた。
心ないクラスメートの言葉が身体の中で反芻される。
それが鉛のようになって、僕の身体に沈んでいく。
自然と足取りが重くなって、ヨンサとの距離は開く一方だ。
-----------僕とヨンサの違いなんて、ほんの少しなのに
不意に背中に衝撃が来て、僕は足元を雪に取られた。
聞きなれた声とどたばたという足音が僅かに耳に入って、そこから雪玉をぶつけられたことを悟った。
地面がゆっくりと近くなっていく、来るべき衝撃に備えて目を閉じた。
でも、次の瞬間に僕が感じたのは鈍い暖かさ。
視線を上げると、息を荒くしたヨンサが僕の腕を支えているのが見えた。
はぁはぁという息遣いが僕の鼓膜を震わせる。
目が合うと、やや乱暴に姿勢を正された。
ヨンサの表情は硬い。
僕が立ったのを確認すると、ヨンサは足元の雪をかき集めて未だに物陰から僕らを窺っている子たちに向けて投げた。
その行動に驚いて、僕のクラスメートは駆け足で去っていく。
「ユンは…」
ヨンサは泣きそうな顔で俯いていた。
「ユンの馬鹿っ!」
立ちすくむ僕にそう言って、ヨンサは僕をおいて歩き出した。
ヨンサが僕の視界から遠ざかっていく。
無意識のうちに駆け出していた。
「………ヨンサ!」
掴んだ手の冷たさに驚いた。
白いそれが所々赤く染まっている。
「ごめん」
自然と出た僕の言葉にヨンサは不満げに首を振った。
違う。
「ありがとう。ヨンサ。」
顔を上げたヨンサの頬は寒さで赤く染まっていた。
それでも、やっとヨンサの笑った顔が見れて僕は嬉しくなっていた。
久しぶりに僕も自然と口角が上がる。
「手冷たいね、僕が暖めてあげる。」
そう言いながらヨンサの左手を逃がさないように握って、コートの右ポッケに2人分の手を入れた。
ちょっと狭いそこで裏地のツルッとした感触を味わいながら、握った拳から暖かいものが身体を巡っていくようだった。
それから登下校でヨンサの後ろを歩くことはなくなった。
こうやって手を繋ぐことはあっても。
冬は寒くて、それがヨンサと手を繋げる理由になるから好きなのだ。
うとうとしていた意識がゆっくりと浮上して、僕は窓を見た。
外の景色が見えていたガラスにはすでにまた結露が張っていた。
入れたてだったコーヒーもすっかり冷めている。
あれからもう何年も経った。
僕はスペインでヨンサは日本でプロのサッカー選手になっている。
あの頃2人で雪の絨毯につけた平行線の足跡みたいに2人の道が交わることはもうないだろう。
それでも、あの日ヨンサが僕に教えてくれたことは確実に僕を形作っている思いでの一つだ。
ふとカレンダーが目に入った。
ENEROという文字が書かれた月の25日に丸がしてある。
今年の誕生日プレゼントは手袋にしよう。
メッセージカードには「あの日のこと、覚えている?」って書くんだ。
そう考えると楽しくなってきて、僕はコートとマフラーを取った。
あの日と同じ季節の雪の中を1人で歩く。
右のポッケには思い出を握った手を入れて。
(2011.01.25)